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北陸ぅ1人ぃ旅ぃ~♪ 其の弐 [旅]

夜中、結構な雨音が・・。越前大野城の再建天守閣までは結構な道を歩かねばなりません。

足元が悪い中、山道歩くのは賢明ではない。

こう判断して、布団の中で予定変更です。(一説に単にお酒で面倒になったとも言われています)

 

大野城を目指すなら小浜を6時半の電車に乗らないと行程が厳しくなるのです。なのでここは水の流れのように・・

そうだ、丸岡へ行こう!

 

小浜を7時半にでて敦賀でサンダーバード3号に乗ります。運転士は勿論アラン・トレーシー(^_^;)

福井について丸岡を目指そうとすると結構乗り継ぎの時間があるのね・・。結局後続のしらさぎとサンダーバードもここで追いついちゃったから小浜をもう一本遅い電車でも良かった。

福井を10時15分にでて丸岡へ。

丸岡城なんだから丸岡駅で降りればなんてことないと思ってました。

 

駅は無人。方向を決めて歩くことに。しかしこの景色からはお城なんて想像がつかない。あの山の麓なのでしょうか。 2015110810540000.jpg

折からの雨はアゲンスト。寒くないのは救いでしたが一体何してんだか(^_^;)

 

それでもこんな景色が見えるようになるともう城下に入ったんぢゃね?2015110811110001.jpg

駅を降りてからあることおよそ50分。あとで調べたら大体4kmだって一里だすな。昔の人は凄い。

 

丸岡城は現存する最古の天守を有するとされる見どころ満載のお城です。断言しきれないのは「いやいや犬山城の方が古いで」という説もあるためです。ただし北陸と地域を限定すれば明らかに天守はここしかないのです。

2015110811210000.jpg2015110811270001.jpg

天守へ登る階段は松本城とか彦根城のような現存している天守に登るとわかるように非常に急です。

高層の木造建築では機能重視となります。いかに無駄なく頑丈に作るかを主眼にした場合どうしても梯子のような階段になるようです。階段には見学者用にロープが渡っています。お年寄りはこのロープを手に昇降するのですが、やはり少し辛そうでした。

 

ところで、この丸岡城ですが、織豊時代の天正4年に北陸一帯に勢力を誇る一向門徒に対抗するために柴田勝家の甥勝豊が築城しました。豊臣秀吉によって勝家が倒された後は、豊臣秀吉一派の青山修理亮が入城ますが関が原で西軍に属したために改易となり、徳川家康の庶子結城秀康の家臣のものとなります。その後一悶着あって本多成重が入城。4代続いた後これも改易されて有馬氏が入って6代続いたのちに明治維新を迎えます。

さほど大きなお城ではなく、越前藩の支城だったものが、本多氏の代に独立した丸岡藩となったので初代藩主は本多成重ということになります。この成重の父が徳川家康の老臣として名を馳せた鬼作左こと本多重次です。

 

その本多作左は長篠の戦の最中に国元の奥さんへ手紙を送っています。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな(痩さすな) 馬肥やせ」 

端的に要点を述べた素晴らしい手紙ですね。

 

丸岡町では平成5年に町おこしの一環として、この故事にあやかって日本一短い手紙という企画を立ちあげました。丸岡町から坂井市と名称がかわった今もこの企画は続いています。

 

丸岡城は小さくてかわいいお城ですが、何とも味のある素晴らしいお城でした。


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コメント 2

ソニックマイヅル

おはようございます。彦根城は私も行った事がありますので階段が急なことは理解できます。本当に?と言う感じですよね。^^;
by ソニックマイヅル (2015-11-14 07:11) 

太陽の玉子

ソニックマイヅルさま
こんにちは。あの階段をみるとお城は戦闘機能優先なのだなと感じますね。
スカートで来たひにゃ・・・(^_^;)
by 太陽の玉子 (2015-11-14 11:44) 

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